生きていく(いつか和って?)

いっぺい

リーダー、ボーカル、ギター、ハーモニカ、作詞、作曲、編曲、桜ピンク担当

くりちゃん

ギター、ピアニカ、振り付け、ごく稀~にボーカル(超レアw)、カメムシグリーン担当

みのるん

カホン、ドラム、スカイブルー担当


アーティストマネージャー:ちえ


2012年4月29日結成。2011年に発生した東日本大震災の復興ボランティアにいっぺいが

参加した際、全国から訪れるアーティストの慰問ライブにて設営、運営アシスタントを

担当。その時に、「どんな悲しみや失意の底にいても音楽やライブで笑顔になれるんだ」

と感銘を受けると共に、今までの自分の音楽観が大きく変化する。

故郷・徳島に戻り「徳島から東北に音楽で元気や笑顔を送りたい」と、高校時代の親友

であり、共に音楽活動をしていた「くりちゃん」に連絡。

実はくりちゃんも復興ボランティアに参加しており、共に音楽活動を再開する事となる。

田宮のガストにて「いきていく つながる かなでる 和・輪」の頭文字を取り、

「いつか和」というバンド名が誕生する。

2012年4月29日徳島駅前のストリートにて初ライブ。その時のお客さんは1人。

以降、定期的にストリートライブを行いながら、地域のお祭りやイベントなどに参加

していく。2年間の活動において、出会ってくれた皆様からの義援金とメッセージ、

笑顔のアルバムを東北の被災地の方々に寄付する。

2度目のストリートライブにて、現在徳島で音楽活動を行うにあたって避けては通れない

まさに徳島引き語りシーンの象徴「菊池よしき」と運命的な出会いをするも、根からの

人見知りであるいっぺいとくりちゃんはそっけない態度をとってしまうw

初対面から1年、そんな我々を覚えていてくれた菊池よしき神様のお誘いにて

今では我々の主戦場であるライブバーで行われたイベント「キクチキカク」に初出演を

果たす。以降、徳島市内のライブバーやライブハウスでの演奏活動を増やしていく。

ライブ活動だけでなく、音源制作を行うにあたり、結成当初からの構想であった

バンド編成での音源制作に着手する。その時、今ではいつか和の精神的支柱である

「みのるん」にドラムでの参加を無謀にもオファー。徳島のバンドシーンでは知らない人

はいないと言っていい程の大先輩に、我々のような若輩者がオファーしたにも関わらず

快く引き受けてくれたみのるんは音源制作だけでなく、ライブ活動も共にしたいと

言ってくれ、ここに現体制でのいつか和が生まれる。

同時期、キーボードとして徳島の歌姫「桑平真澄」ちゃんがいつか和に参加。

4人体制での活動も行っていく。真澄ちゃんの寿脱退により真澄カラーであるイエローは

永久欠色となる。


2014年12月自身初となるワンマンライブを栄町Funky Chickenにて開催。


2016年8月15日アーティストマネージャーとして「ちえ」が加入。グッズ制作や

アーティスト活動を全般的にサポートしてくれている。

そんなマネージャーの決め台詞は「私はいつか和に嫁入りしたんよ!」であるw


2017年4月29日1st Album「はじめてのいつか和」にてインディーズデビュー、

同日籠屋町Music Bar Rickyにて2度目のレコ発ワンマンライブを開催。


年間ライブ本数80本、これまでのシングル5枚、アルバム1枚の音源をリリース。

インターネット「Ustream」「ツイキャス」にて1か月1度の生放送番組

「いつか和といっしょ」は今年3年目を迎える。音楽バラエティー番組として

始まったが、大喜利や飯テロなど音楽をしないことで有名w


2017年11月より徳島豆天玉連に参加。ご当地グルメ「豆天玉焼き」PR公式ソングを

担当している。

2018年2月YAMABIKO MUSIC オリジナルソングバトル2017において、

「豆天玉のテーマ」にてグランドチャンピオンを獲得。MV作成が決定する。


「徳島から全国へ」をスローガンに、いくつになっても夢をあきらめず、ひたむきに

聴いてくれる人や見てくれる人に笑顔や元気を届けるため日々音楽に取り組んでいる。

まだまだ、いつか和の歴史は続く。。。